第4章 不正
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ほとんどの人は重要なルールを尊重する
しかし、中小のルールは日常的に破っている
不正を働くのは、典型的なコストを払うことなく利益を刈り取れるから 「エリート競泳選手のほぼ100パーセントがプールのなかで排尿している」とアメリカ代表チームのカール・ギアは言う
練習中にトイレ休憩をとるのはいたって不便だからだ
わたしたちの祖先も多くの不正を働いた
証拠の一つは、わたしたちの脳が不正を見抜くという特殊な目的に適応していること 実際には、こうした適応は必ずしも進化したものとは限らない。個々の脳が学習したのかもしれない。けれども、少なくともそうした適応の一部を生来のものとする根拠はある。
たとえば、不正のシナリオにあてはめて抽象的な論理パズルを解かせると、よりうまく解決できる
人間の脳はまた、不正を働いたり規範を回避したりするために役立つ方向へ適応してきた 罰せられないようにする一番基本的な方法は、たんに見られないようにすること
規範回避の適応のひとつは他人の視線、特に自分に向けられている視線に敏感になること
数十の実験から、見つめられている参加者はたとえそれが漫画の目であっても、不正を働く頻度が下がることがわかっている
もしかするとそれより重要なものは、「恥ずかしさ」の感情とそれに付随する行動かもしれない
しかしながら、不正が見つからない方法ばかりに気を取られていると、それよりはるかに興味深い、堂々と行われる不正を見逃してしまう
まったく異なる規範回避の例
1) 試験のカンニング
こっそりトイレに行ってスマートフォンで調べる
2) 公共の場での飲酒
アメリカの大部分では公共の場における飲酒は法律違反
昔ながらの解決方は茶色い紙袋で酒瓶を包む
カンニングという1つ目の例では目的は教師に見つからないようにすること
公共の場で酒を飲む動機はそれよりずっと捉えにくい
紙袋に酒瓶を隠したところで、誰も容易には騙されない
堂々と近づき呼気のアルコール臭をかぎ、逮捕したり切符を切ったりすればよいが、たいていはわざわざそのようなことはしない
本章で検討する謎は、なぜ不正が見逃される事が多いのかということ
ここでもまたすべての不正が同じではない
簡単な警告
不正について検討するうえで、ことの善悪を批判したくなる衝動に気を取られないようにすることが重要
べきの話し合いにはそれにふさわしい時と場所がある
読者それぞれの倫理観によっては、いくつかの規範違反は「悪い」とは考えられないこともあるだろう
薬物使用など
薬物の使用が悪いかどうかに関係なく、社会のほとんどはなおもそれを不正行為の一つの形として扱っており、薬物使用者は今も見つからないようにする行動をとらなくてはんらない
したがって、繰り返しになるが、本書ではモラルとは無関係の立場をとる
共通知識
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの有名な童話『裸の王様』
この童話、そして本書で論じていくことのほとんどを理解する鍵は「共通知識」の概念である 「知識」という言葉はたとえ(真の)知識を(たんなる)考え方とどのように区別するのかなどの多くの哲学的な問題を抱えている
しかし「共通知識」という言い回しにまでその問題を持ち込む必要はないだろう。本書で「知識」という単語を用いる場合、それは考え方あるいは認識を意味し、その確実度については問わないものとする
一片の情報が集団内で「共通知識」になるためには、たんに全員がその情報を知っているだけでは十分ではなく、全員がその情報を知っているということを全員が知っている、その全員が知っているということをまた全員が知っている、という具合に延々と続いていかなければならない
「オープンな」あるいは「誰の目にもわかる」知識と呼ぶこともできるだろう
友人をパーティに招待するとき、宛先のToとCcの欄を用いてメールを送れば、パーティは共通知識になる
けれどもBccの欄を用いてゲストを招待したなら、共通知識にはならない
情報が共有されているか、伏せられているかには天と地ほどの違いがある
『裸の王様』では、王様が詐欺師に騙されているということを街中が知っていたが、きわめて重大なことに、その事実が共通知識ではなかった
誰の目から見ても王様は裸だったが、その一方でだれもが他の人々が詐欺師を信じているのではないかと心配だった
共通知識は、個人的に打ち明けることと大々的に公言することの違いであり、カミングアウトしていない同性愛者と自分の性について完全にオープンな同性愛者の違い、誰もが何事もなかったかのように振る舞おうとしている気まずい場面と、誰もが認めている場面の違い
共通知識は誰の目にも見えて、オープンに話し合うことのできる、完全に公開されて記録が残る「オンレコ」の情報
人は大抵の場合、知られないようにする、秘密を守るということを、重大な一次元の行為として扱う
つまり一片の情報がどれほど広く知られているかだけで直線的に測ろうとする
だが実際には、秘密保持は、どれほど広く知られているかという軸に加えて、どれほどオープンに、あるいは共有して知られているかというもうひとつ別の軸を持つ、二つの軸からなる二次元の行為
秘密がどれほど人に知られているかを測るひとつの方法は、それが共通の知識になっている最大集団の大きさを調べること
そして秘密は、たとえば公言していない同性愛者や王様は裸だという事実のように、オープンに知られていなくても、広く知られている場合がある
不正はおもにこっそりとする行為である
一部は秘密のひとつの次元だけが関係している
試験のカンニングなら、大事なのは特定の一人の人物=教師に見つからないようにすることだけ
対照的に街頭で飲酒する時は、特定の人々に気づかれることや、どれだけ多くの人に気づかれるかということさえほとんど問題ではない
重要なのはどれだけオープンに知られているかどうかということ
薄っぺらな茶色の紙袋が明暗を分ける
大胆にふたの開いたビール瓶を見せびらかせば、警察沙汰になる可能性が高い
あからさまな公共の飲酒に目をつぶる警察官は、こっそりと行われる飲酒を無視する警察官より、関係者全員から非難されやすいだろう
この例では、茶色い紙袋は警察の目を欺くのではなく、かろうじて警察が有権者からお叱りを受けないようにするだけの隠れ蓑になっている
ささやかな隠蔽が役に立つとき
ダフ屋がしばしば、チケットを買うというまるで正反対(だが完璧に合法)な呼び込みをしているのはそのため
アルコールの紙袋と同じように、この行為はそれを阻止する役割を課された人間の目をごまかせない
警察、教師、人事部長といった規範を守らせる専門家には、規範を徹底させる強い動機がある
それが仕事だからだ
それでも手を抜きたくなることもある
一方、第三章ですでに論じたように、専門家以外の人々のあいだでは、規範を守らせようとする動機がさらに弱い
守らせるためには仲間や上司と面と向かって対立しなければならないかもしれず、しかも正式な権限なしに行わなければならないとすれば、割りに合わないかもしれない
一般に、規範を執行するにあたってはたんに違反の発生を発見するだけではすまないことを思い出してほしい
コミュニティのほかのメンバーに罪が犯されたことを理解させるために、その違反をうまく告発する必要もある
一般に、悪事をじかに発見することは、無関係の人々を納得させるよりずっと簡単である
不正を働きたい人間が覚えておくべきポイントは、規範の遵守(あるいは違反の告発)を妨げるものはみな、罪を犯して逃げ切る可能性を高めてくれるということである
隠蔽には様々な形がある
口実
つ語のよい言い訳やアリバイとして機能する
目立たないコミュニケーション
ものごとを隠しておく
規範の回避
正面切って違反する代わりに
さりげなさ
名誉を重んじる文化では、あからさまな侮辱は挑発的な暴力行為とみなされる
逆に「公」にならない程度にさりげなく侮辱すれば、たいていの場合は許される
こうしたテクニックはみな同じメカニズムで働く
すなわち、規範の違反が完全な共通知識になることを妨げ、告発を難しくする
口実 都合のよい言いわけ
口実は規範に違反して逃げ切るために広く役立つ手段
無実を証明する巧みな説明が存在すると告訴が難しくなる
つまり他者が自分を非難し、告訴するうえでの困難が増す
そして、これまで見てきたように、口実はすべての人をだまさなくてもよい
単に人々に他の人が信じているかもしれないと案じさせることができるくらい、一見信頼できそうであればよい
人間の社会生活は口実だらけだ
目立たないコミュニケーション
共謀 conspire
com- 一緒に + spirare 息をする
国王を暗殺する陰謀を企む二人の貴族の例
計画について暗号めいた話をし、会話はできる限り手短に終えて別々の方向に去っていく
目立たないコミュニケーションをとる意味
まったく気づかれないこと
もし気づかれたなら、声が聞こえないこと
もし声を聞かれたなら、言葉がはっきりと聞き取れないこと
もし言葉が聞き取れたなら、意味不明であることを願う
最後に、立ち聞きした人間に意味がはっきりとわかったとしても、自分たちの計画が伏せられた知識のままで共通知識にならないことを願う
歩哨二人が貴族の話を偶然聞いたとする
どちらの歩哨も個人的には陰謀の存在を疑うかもしれないが、ひそかにそれを喜ぶ可能性もある
どちらの歩哨も反逆罪を公に認めるわけにはいかないが、貴族が小声で話していたため、いずれの歩哨も聞こえなかったふりをすることができる
大声で話していたら、陰謀が歩哨同士の共通知識になってしまい、歩哨は陰謀を企んでいる者を何が何でも捕まえなければならなくなる
経験から言って、コミュニケーションが目立たない場合は決まって、内容が共通知識になるのを防ぐことで、話し手が何かから逃げ切ろうとしていると考えてほぼ間違いない
一般にボディ・ランゲージは解釈と第三者への説明が難しいため、ある意味言葉と違って目立たない
暗号めいたコミュニケーション
法律に違反する行動を表すスラングがたくさん作られ、用いられている理由の一つ
つながる(セックス)、420(マリファナ)、ゲームをする(賭博をする)などの言葉がみな拡散するのは、ひとつには、親や警察や自分を評価する仲間といった影響力のある人たちより半歩先を行くため(Mattiello, 2005) さりげなさと言外の意味
こうした手段は、意味を伝えながらも、必要であればのちにメッセージを否定できるだけの意味的な余地を残す
象徴化
イーディス・ウォートンは小説『イーサン・フローム』で主要登場人物の性的な関係を、ふたつの不可解な食べ物、ピクルスとドーナツを用いて巧妙に象徴化している
もう少し真面目な例としては、腐敗した政権に反対して抵抗運動を呼びかけるためにも象徴が用いられている
反対運動が特定の色と結びついていれば、支配政権からの攻撃にさらされることなく、その色を身に着けて反対運動を支持できる
非公式な発言
一般に、発言が公式になればなるほど、メッセージが引用されやすく公式記録になりやすい
その逆もまたしかりで、非公式な発言は一般に「オフレコ」
関係者がふたりだけでも、こうしたテクニックが役に立つことがある
デートのあとで、男性が女性にセックスを提案すると考えてみよう
あからさまに尋ねたら「面目」が関わってしまい、あとで言い訳できなくなる
解決方法は遠回しな言い方
両者とも何が示唆されているかはよくわかっているが、重要なことに、その知識はまだ共通知識にはなっていない
それでも疑問は残る
両者が誘いを理解しているのなら、なぜそれが共通知識であるかどうかが問題になるのだろう
一つのシナリオモデルとして、デートがどうなったかを聞こうと仲間が待ち構えていると想像すればよい
共通知識になることなくメッセージがやりとりできていることを願いながら、カップルが暗号めいたコミュニケーションをとるのは、その現実あるいは架空の聴衆のためなのだ
両者とも、この想像上の聴衆の前で演技をしていることに気づく必要はない
これは人間が自分の面目を保てるようにと、長い年月をかけて学んだものだからである
盗み聞きでも伝え聞きでも、想像上の聴衆はまた、規範に違反する他のシーンのモデルを考えるにあたって役立つ
犯罪の首謀者が子分に「そこのお友達の面倒をみてやれ」と言うとき、彼はのちに自分や子分を尋問することになる法執行機関を念頭に演技している
もちろん子分に誤解される小さなリスクがあることをボスは受け入れている
闇取引を行う場合のコスト
規範を回避する
現実社会の規範には多くのグレーな部分と境界のあいまいな例がある
すべての人が同意できる基準を作ることなど不可能だから
ウィトゲンシュタインが「ゲーム」を構成しているものを明確な言葉で定義することは不可能だと主張したことはよく知られている
同じ主張は規範を含む複雑な文化的概念すべてにあてはまる
グレーな部分は、不正行為者が限界を探り、限界ぎりぎりの行動をとり限界に挑むためにうってつけ
ジャコベリス対オハイオ州の裁判で、最高裁判所判事のポッター・スチュワートはわいせつを定義することを拒み、代わりに「見ればわかる」と述べた
この種の詳細の欠如が、規範の回避を招く
人が回避しようとする規範にはほかに、服装規定を守ること、仕事を怠けること、不適切になれなれしくすること、規模の小さい社会集団で政治的に行動することなどがある
軽い罪
世間には有名人やその他の権力者に注目する様々な理由があるが、そのひとつに、有名人が何をやって見逃されたかを知るというのがある
スティーヴ・ジョブズがアップル社の社員を罵倒していたことはよく知られている
O・J・シンプソンはどうやら殺人を犯して無罪になったようである
人はときに、虐待するCEOや女たらしの大統領は別世界の人間で、自分は足が地についていると自画自賛する
しかしながら、少なくとも規範を回避する方法という点では、その差はおもに程度の問題だけだ
有名人が大きな規範に違反することはあっても、規範がそれなりに弱ければ、平凡な人間でも罰を受けずに違反できる
わたしたちは自慢し、怠け、陰でこそこそと悪口を言う
仲間であるべきチームメイトの足を引っ張り、上司にごまをすり、不適切に色目を使って浮気をし、策略をめぐらし、自分の目的のために他者を操る
一言で述べるなら、わたしたちは自己本位なのだ
救いがたいほど自己本位ではないが、気高い行動基準に求められるレベルよりは自分勝手である
当然のことながら、わたしたちは自分の利己的な部分をひけらかしたりはしない
わたしたちは、たとえば自慢をするときはさりげなく言うように努力している
自分のIQや月給をそのまま口にするのは品がないが、その数字が自慢に値する場合は、たいてい、仲間にそれとなく伝わるような方法を見つけ出すだろう
教会、会社、仲間内で自分が有利になるように小さな策略を巡らすときにも、わたしたちは同じく目立たないように行っている
同盟を育み、同盟関係にない人をひそかに妨害しようとする 成功は自分の手柄にして、失敗の責任は回避しようとする
たとえ集団全体にとって利益があると考える根拠がほとんどなくても、自分に利益をもたらす政策をとるよう政府に働きかける
けれども、当然のことだが、これらはあけっぴろげには行わない
その代わり、自分の行動を正当化という衣で覆って、みなのために最善であることを強調する
おさらい
不正行為をして逃げおおせるためには若干の知恵が必要
それは第三章の最後で明らかにした謎、すなわち規範によって競争が抑止されるのであれば、なぜ人類は未だに大きな脳を必要としているかという謎を解き明かすために役立つ
それらしい答えとしては、規範が100パーセント守られることは決してないため、いかに不正を働くかを考えるにあたって、わたしたちは大きな脳を必要とするという理由があげられるだろう